『 新たな旅たち ~自己中心から神中心へ~』 2019年4月7日
聖書:創世記12章1~4節 片柳教会・合同礼拝
●12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。
●序.4月は新学期です。町にはピカピカの1年生が輝いていますね!入学や進級、新社会人の皆さん、おめでとうございます。聖書のアブラハムも新しい出発をしました。聖書を開いたことのない人も、アブラハムという名はどこかで聞いたことがあると思います。アメリカで最も尊敬される偉大な大統領がアブラハム・リンカーンです。紀元前2000年中近東に生まれたアブラハムはイスラエル民族の先祖・始祖となり、やがて全世界の祝福の基となり、今では主を愛する人々から「信仰の父」と呼ばれています。今回から、このアブラハムの生涯から学んでいきましょう!
●1. アブラハムの 「生まれ故郷ウル」 (創世記12:1)
アブラハムが生まれたのは、紀元前2000年、現在のイラクのバクダッド近隣の商業都市ウルという町でした。紀元前3000年、ウルはシュメール人が、ユーフラテス川のほとりに築いた世界最古のメソポタミア文明の都です。シュメール人は、人類最初の文字である楔形文字を発明しました。
アブラハムが生まれた頃は、ウルの都は、巨大なお月様の偶像の神殿ジグラッドを中心に、人口が50万人ほどの大都会でした。アブラハムは、父テラと共に、偶像の都ウルから旅立ちハランまで来ましたが、父テラはハランに留まり、定住して、やがてそこで死にました。父テラは、中途半端な信仰の生涯でした。
父テラがハランで死んだ時、アブラムはすでに75歳でした。いかに当時の人が長命であったとはいえ、すでに長老の年齢です。ウルの町で一角の成功を遂げた年齢です。普通ならこれから孫たちの面倒を見て、余生を楽しむ年齢でした。けれども、ある日、アブラハムは神の声を再び聴くのです。
2. アブラハムの 「召命」(創世記12:1~4)
12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。
❶ 神の召命は「個人的」です。
この時は、アブラハムではなく、まだアブラムという名前の時でした。アブラムが、この御言葉を聴いたのは、父テラが死んだハランという町でした。実は、生まれた故郷のウルですでに受けていた御言葉を、このハランで再び、アブラムは聴いたのです。
1~3節に中に「あなた」という言葉が実に11回も使われています。主が、私たちひとりひとりに個人的にご計画を持っておられます。神の召命。ご計画や使命のはじまりは個人的なものです。
例話:私が神学校に入学した時、繰り返し問われたのは「神の召命」でした。神の召命を受けて、献身したのか?周りの人々の評判や評価ではなく、神が個人的に召命を与えられたのかということです。
神学校の生活は、過酷でした。私はこの片柳教会から支援されて神学校に送り出されました。当時は2代目の牧師奧山実先生でした。奧山先生は、海外宣教の奉仕でしばしば、教会を留守にされました。
私は神学校1年生の時から片柳教会と開拓伝道が始まった東川口教会の礼拝で毎週説教の奉仕ありました。1年で50回、礼拝説教しました。神学校では、ギリシャ語、ヘブル語もあります。他の神学の学びもあります。毎日午前1~2時頃まで勉強し、午前5時に起きて同じ部屋で私の父と同じ歳の重光神学生と毎日午前5時に起きて祈祷室でお祈りして、それから午前6時の神学校の早天祈祷会でお祈りして、毎日をスタートしました。ですから2年生の時に体調を崩してしまい、病院で診てもらいました。
その時のドクターの言葉を忘れることはできません。「うーん、君の体は勉強には向いていないんだ」と言われたんです。そんな私を支えたのは、神の召命の御言葉でした。先週のアブラハムの父テラの信仰は中途半端であったことを見ました。私も子供ころからいつもおばあちゃんに「お前は何をやっても中途半端だね」と言われた私が、KGKの学生伝道の奉仕をしてから神学校に入り、神学校を逃げ出さず、30歳から牧師になり、早や32年間も牧師の奉仕をしています。牧師の奉仕を投げ出さないで、皆さんに祈られ励まされて、今喜んで奉仕させていただいているのは、私にとっては驚き、奇跡なのですが、それは神の召命があったからです。神の召命の御言葉が私を支え、導き、祝福を与えてくれたからです。
主は、どんな人にもご計画を持っておられます。そしてその使命のはじめは個人的です。あなたにも主のご計画と使命があります。皆さんアーメンですか?
❷ 神の召命は、「新しい旅立ち」です。
12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
これはただ単に、地上の旅立ちを命じる言葉でありません。これはアブラムの今までの古い生き方から、新たなる生き方への旅立ちを命じる神の御言葉です。
「アブラムよ。今まであなたは、あなたの親兄弟、親戚、隣人といった人々の中で守られ、あるいは彼らの顔色をうかがって生きてきた。しかし、これからは天地万物の創造主である私に従って生きるのだ」と。
・三浦綾子さんはエッセーで語っています。「他者中心の人生は卑屈なものになってしまう。人の顔色をうかがい、ただ波風が立たなければよいと思って、ひたすら自分を押し殺して生きていると、後の日に「いったい自分の人生ってなんだったんだろう。」ということになってしまうだろう。さりとて、逆に、自己中心の利己的人生は醜悪なものとなってしまう。「私の人生は、私のものだ。どんな生き方をしようと私の自由だ。誰にも文句は言わせない。」というような生き方は、まったく醜いものである。しかし、人はただ神を中心に生きる時、美しい人生を送ることができる。」と語られました。皆さんアーメンですか?
本当にそうだと思います。主の召命は、アブラムに新しい旅立ちへの招きの御言葉でした。それは古い今までの生き方ではなく、主にある新しい生き方でした。別の言葉に置き換えると、自己中心の生き方から神の中心の生き方への招きです。
私たちも同じです。主のチャンレンジに答えましょう。はじめは色々失敗したり、私のように体調を崩したり、色々と困難はあるでしょう。いや必ず試練がやって来ます。
けれども、アブラムの旅立ちは、一見自己中心に見えたが、実は、神中心の人生への旅立ちであったのです。ですから、当面は多くの人々を当惑させることになりましたが、長い目で見ると、彼の一族ばかりか、全世界のあらゆる民族に対して主の祝福をもたらすことになるのです。
2千年後、アブラハムの子孫に主イエス様が誕生し、その後さらに二千年間、イエス様の福音が全世界に宣べ伝えられて、地の果ての日本の私たちにも福音が届らえました。世界中の数え切れない人々が、イエス様との出会い、絶望から希望へ、死からいのちへ、闇から光へとその人生を移していただいたのです。
●結論: あなたも「新たな旅立ちをはじめよう!」
❶ あなたも自己中心から神中心に立つ!
イエス様を信じる人は、アブラハムの子ども、子孫です。同じように、主はあなたを祝福し、あなたを通して主は祝福を多くの人々に注ごうと計画されています。そのために、自己中心から神中心にあなたが決断し、御言葉に従い、まず自分の罪を悔い改めて、イエス様を罪からの救い主として信じましょう。罪の赦しを受けましょう。心の傷を癒やして頂き増しよう! それからイエス様をあなたの心の王座に、あなたの人生の主・王様としてお迎えしましょう!神の中心の生き方へと新しい旅たちを始めるのです。
1週間は礼拝から祝福のスタートを始めるのです。1日はデボーションで御言葉を読み祈って始めるのです。日曜日は、部活があっても礼拝を優先しましょう。試合で朝の礼拝が難しければ、トワイライトに来ましょう!」自己中から神中心に立ちましょう!皆さんアーメンですか?
❷ あなたの学びや仕事も、主を第一に、人々の祝福のために励もう!
主の祝福があなたの学校や職場に注がれます。あなたのクラスや職場で「私はイエス様を信じるクリスチャンですと自己紹介しましょう」自己中心から神に中心に、あなたの学びや仕事をしましょう。
主を第1に、礼拝をささげながら一生懸命に学び、働くのです。自分の利益や損得のために働くのではなく、マタイ22:39「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と聖書の黄金律に従って、働くのです。人々の祝福のために喜んで働くのです。それが新たな旅たちです。皆さんアーメンですか?
❸ あなたの家族と「時間と感動を共有しょう!」
あなたの家族を愛そう。そして家族が互いに愛し合うのです。夫婦が愛し合い、親子が愛し合い、子どもが親を尊敬するためには、皆さんにお願いしたいことはこれです。「時間と感動を共有することです。」
これが基本です。「時間と感動を共有すること」 最初に、それは食事を共にすることです。
お母さんが一生懸命に作ってくれた美味しいご飯を家族そろって一緒に食べるのです。毎日が難しければ、朝ご飯を毎日、あるいは土日に晩御飯を一緒に食べるのです。「お母さんのご飯は、おいしいね!」
これが時間と感動の共有です。家族でハイキングや旅をすることも「時間と感動の共有です」
そしてご飯を食べたらバラバラに部屋いくのではなく、短く家庭礼拝をしてみんなで祈り合うのです。
夫婦が親子が祈り合う、これこそ感動体験です。愛し合う実践です。クリスチャンが結婚すればクリスチャンホームになるのではなりません。家族がそろって神を礼拝する家庭をクリスチャンホームというのです。家族で教会の礼拝に、家庭礼拝で御言葉を受け、「時間と感動を共有しましょう!」皆さんアーメンですか?
4月の新学期、私たちもアブラハムのように、新たな旅立をしましょう!アブラハムへの祝福を受けるために、自己中心から神中心へと、礼拝とデボーションの生活を始めましょう。
学校や仕事で、自分の利得のためではなく、人々の祝福のために学び、働きましょう。最後に家族が愛し合うために「時間と感動共を共有しましょう」皆さんアーメンですか?
●祈りましょう! 父なる神様・イエス様・聖霊様、御名を賛美します。あなたはわたしたちひとりひとりに、「あなたは、あなたの土地、の父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となる」と個人的に招いてくださいました。主に御言葉に従い、自己中の歩みから神中心へと導いてください。あなたを第一に、礼拝とデボーションを優先し、学校や仕事で自分の利得のためではなく、人々の祝福のために一生懸命に働き、家族が「時間と感動を共有して」互いに愛し合う祈りと愛の新しい歩みへと導き、お一人お一人を豊かに祝福してください。主のイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。