説教レジメ『あなたの名前を呼ばれる主 ~復活の証人マグダラのマリア』 2021年4月11日
聖書:ヨハネによる福音書20章11~18節
片柳教会・主日礼拝
序.復活の最初の証人となったマグダラのマリア。なぜ選ばれたのか? 復活のみことばを受けよう。
1.主に愛されたマグダラのマリア (ヨハネ20:1・ルカ7:36~48)
イエス様は、十字架で私たちの罪を背負い、死なれ、3日目に復活された。死は終わりではなく、永遠への入口となった。イエス様の復活の体は、新しい完成された体、永遠の命。イースターは、希望である。
マグダラのマリアは一番最初の復活の証人として登場する。2千前、女性は裁判で証人となる資格が認められていなかった。新しい時代の到来。このマグダラのマリアは、どんな女性であったのか?
(マルコ16:9) 「さて、週の初めの日の朝早く、よみがえったイエスは、最初にマグダラのマリアにご自分を現された。彼女は、かつて七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人である。」
中世のローマ教皇グレゴリウス1世は、「七つの悪霊」とは、「七つの大罪」、すなわち、①姦淫②大食③貪欲④怠惰⑤激怒⑥妬み⑦高慢で、これらの罪から解放されたと理解した。聖書では7は完全数である。
悪霊に支配され、肉体も心もボロボロのマグダラのマリアの人生は、どれ程悲惨な人生であったことか?
悪霊に縛られて、地域の共同体からも村八分となり、人々からも見捨てられ、何の希望もないマグダラのマリアの前にイエス様が現れて悪霊を追い出し、心も体も癒され、人生は一変した。(ルカ7:36~38)
新しい人生を与えて下さったイエス様に心からの感謝と主への献身を表すために、泣きながら、イエス様の足を涙で洗い、髪の毛でぬぐい、足に口づけし、嫁入り道具として大切に蓄えて来た香油の香水を、惜しげもなく注ぎ、イエス様への愛と献身を表した。
聖書の中でこのように、イエス様に罪の赦しと感謝を、自分の持てる全財産を持って感謝を表した女性がもうひとりいます。ベタニアにマリアです。これら二人の女性に共通するのは、罪赦されて、主に愛されて、新しい人背を与えられました。そして、いつもイエス様の側にいて、イエス様の御言葉の教えに耳を傾け、主のために喜んで仕える人です。このようなマグダラのマリアだからこそ、イエス様の復活の最初の目撃者、証人として選ばれ、用いられたのではないでしょうか? 私たちもマグダラのマリアのような愛と献身を主にささげましょう!皆さんアーメンですか?
- 2. 主に名前を呼ばれたマグダラのマリア (ヨハネ20:11~16)
マグダラのマリアは、空っぽの墓を覗き込み、イエス様の遺体は盗まれたと勘違いして嘆き、涙していました。白い衣を着た天使がマリアに言いました。「なぜ、泣いているんですか?」
私たちも同じ過ちを犯しますね。ある出来事で失望し、落胆する時、そこに捕らわれて、そこから抜け出せなくなります。いつまでも、過去の出来事に心が捕らわれています。
マリアも、ずーと空っぽの墓を何度も何度も覗き込んで、それ以外を見ようとはしません。
とうとう、しびれを切らした復活されたイエス様が、後ろからマリアに呼びかけられました。
「マリア!」懐かしい、聞きなれたあの優しいイエス様の御声です。思わず、マリアは後ろを振り向て、いつものようにイエス様に答えます。「ラボニ!(先生!)」
聖書の神、まことの神様は、私たちひとりひとりを名前で呼んでくださるお方です。
十羽ひとからげではあります。毎日世界の人口は22万人増えています。現在78億人の中で、あなたのことを愛されて、尊いかけがえのない、大切な存在としてあなたの名前を呼んでくださるのです。
- イザヤ 43:1 「だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。『恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの』」
イエス様は、あなたを愛しておられます。あなたの罪を十字架で赦されました。そしてあなたの名前を呼んでおられます。私たちは主のものです。あなたは主のものです。皆さんアーメンですか?
20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」
20:18 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。
死んでしまって、もうダメだと嘆いていたマリアにイエス様は優しく名前を呼んだのです。
皆さんが、もし、マグダラのマリアでしたら、いかがでしょうか? 懐かしいイエス様の御声を聞いたマリアは、思わずイエス様に飛び込んで、足下に抱きつきたい。ところが、「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。」と言われました。どうしてでしょうか?
なぜ、このような一見、冷たい態度をイエス様はお取りになられたのでしょうか?
ここに新しい時代の到来があるのです。新しい関係の始まりです。復活されたイエス様は、目で見たり、手で、イエス様の顔や手足に触って、あ~やっぱイエス様だ! と確認したい私たちです。
復活のイエス様は違います。昔のように、いちいち、目で見て、手で触らなくても、イエス様は、「私は、今も生きているんだよ。そして、いつでも、あなたと共にいるよ~。だからマリアよ。あなたは、わたしの兄弟たちの所に行って、このことを伝えなさい。」と語られました。
- 結論:「主の手のひらにあなたは刻まれています」(イザヤ49:16)
(イザヤ 49:16) 「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」
新しい時代の到来の約束です。復活のイエス様は、いついかなる時も、あなたと共にいます。
皆さん、暗い夜道を、一人で歩いていると、不安な気持になりますね。
ところが愛する人や、力強い人と一緒なら、暗い夜道も気にならないばかりか、反対に楽しいひと時となります。人生も同じではないでしょうか。愛する同伴者がいると人生は心強く、また喜びと希望に満ちたものになるでしょう。
- 昔、ニューヨークのダウンタウンの街角に一人の女の子が立っていました。ドラッグや食べ物のために売春のために自分の体を売っていたのです。彼女は、親から虐待されて、育ちました。彼女は愛されずに成長し、自分を大切に思えなかったのです。でも彼女に声を掛けて、名前を呼んで友達になり、イエス様を紹介してくれる人たちがいました。こうして彼女は、イエス様に愛されている自分を知り、イエス様を信じました。新しく生まれ変わった彼女は、同じ街角に立ち、今度はイエス様を伝え始めました。そこに昔の客がやってきました。彼女をののしり、「お前なんか、イエスが手を振ったらすぐに振り落とされてしまうだろう!」ってあざけりました。彼女はにっこりと笑顔で答えました。「大丈夫なの。私はイエス様の小指です。私はイエス様といつも一緒だから、どんなことが起こっても大丈夫ですよ」
あなたが、受験の時も、病の時も、試練の時も、愛する者と死別したり、別れたり、悲しみの時も、仕事で苦労する時も、経済的に厳しい時も、年老いた時も、いついかなる時にも復活のイエス様は共におられます。ご安心ください。
- 多くのクリスチャンが、様々な人生の困難な中で、愛唱する聖句があります。それは、神が共にいることを、強く訴える約束の御言葉です。
(イザヤ 41:10)
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
主は、あなたとあなたの家族の人生と共に歩まれ、あなたを強くし、あなたを助け、あなたの人生に勝利を与えてくださるのです。それは、「世の終わるまで」です。あなたの人生が時まで、どんな状況にあろうとも、共にいてくださるのです。皆さんアーメンですか?
お祈りいたしましょう。「復活の主イエス・キリストの父なる神様、素晴らしい主の御名を賛美します。イエス様が十字架で私たちの罪と咎を背負い裁きを受け死なれ、三日目に復活をされ、今も生きておられうこと感謝します。マグダラのマリアのような愛と献身をもっておひとりおひおりが主にお仕えできましょうに。私たちを、名前を呼んで、愛してくださり、イエス様を信じる者に、罪の赦しと永遠の命が与えられている事に感謝します。そればかりではなく、復活の主は、いついかなる時も、私たちと共にいますことに心から感謝します。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン」